毎日のこと

うっすらと常に希死念慮があり、それは強弱をつけて日々私をさいなんでいるが、さいわいにもまだ死んだことはない。
死んだ方がマシだなんて、根拠の無い話だ。だからそう思ってしまうことは多々あっても、私は死なない。

書くことについて。
長い間小説を書いてきて、まあその間まったく書かない数年もあったが、もはや小説を書くことは私自身と不可分になってしまっている。
たのしいのもある、しかしつらいこともある。それでもやめることはできない。どれだけ辛くても、辛くても、苦しくても、いつも立ち戻る。何年か後にまた何か書いていたりする。

私のとって大切なのは書くことなので、書いたものについては二の次だ。
人によんでもらえたらうれしい。すきになって貰えたらなおのこと。でもそれは副産物に過ぎない。私にとって一番大切なのは、書いている状態なのだと思う。
だから何年やっても上達しない。できあがったものに、そこまでの関心を持てないのだ。上手くなりたいなあと漠然と思うが、具体的に改善ができない。いつもぼんやり書いてしまう。

それでも読んでくれる人が時々居て、ありがたい気持ちと、申し訳なさでいっぱいだ。
せめてもう少し、マシなものが出来上がれば良いのだが。もはや他人事みたいな感覚だ。

いつも悲しみと絶望で独りよがりしている。
書くことはそれをわずかにやわらげる。
フィクションが私に現実を示唆してくれる。
だからこれからもきっと書いてしまう。
いまはなにも書けないけど。

しんどい

慰めはいらないからとりあえず吐き出したい。そう思った時に適切なサービスも友人も浮かばず、結局こういうところに書く。

私が無能という話。
というか、日常的に私は無能だ、と自覚し続けるのがつらい。
無能のくせに、それなりに使える人間みたいな顔して振る舞うのが辛い。
無能なので。
自分に厳しいとかではない。完全に事実として私は私の無能さを自覚していると思う。だからわりと他人にもウワ、無能じゃん!(仲間!)ってなるけどみんな無能なのに偉そうですごい!!!ってなってしまう。
私みたいに無能じゃないフリしてるだけなんかな?それにしても無能が他人を責めるべきではないとおもうよ。
無能なりに息を殺して生きていきましょう。


最近は小説を書いていても、ふ、と頭に浮かぶのはまあ、どうせ誰も読んだって、なんとも思っちゃくれないんだしなーってこと。
いままであんまり書いてて他人の反応気にするとかなかったのに、いまのジャンルでなにかが変わってしまった。
最初から毒にも薬にもならない小説ばかりなんだから当たり前なのに、他人に期待しているのか。
なにを。別に会う訳でもないひとたち。関係の無い人達。

書くことは自由だったのに、いつの間にかただ呼吸苦を感じる閉塞的な作業になってしまって、もしもずーっとそうなら書くことの意味は失われてしまったので手放した方が良い。
私は書かなくて良い。
いつも小さく声に出して呟いてしまう。
私は書かなくても良い。
それが私にとっての自由だし、権利だし、救いだ。

捨てて良い。
忘れて良い。
なにもかも。

読んでくれる人は私のことを赦してくれるわけではない。
私を赦すのはわたしだけだ。
そのために書いていたのにそれができないのであれば、もう、やめてしまおう。

寝る前に本を読む。すると少し眠れる。

腐女子の戯言

二次創作小説なんてもんを書いてまして。
色んなジャンル渡ってきましたけど、どこもまあまあマイナー、その上マイナーCP。
いつも好きに勝手に書くだけなので、所謂ドピコのオン専。

ここんところ住まってる村では感想の送り合いがあるようです。
私はほとんど壁打ちの人なので、交流皆無。それでもたま~に感想貰える。うわあいい人だなあって思う。
感想もらっても、嬉しいけど相手がいい人やなあと思うだけの人間です。空リプで感想言われることも多いけど、あんなんは相互さんが気を使ってくれてる訳ですから、嬉しいというより申し訳ねえ、という気持ち。最近ではなんか気まずいしスルーしている
もちろん感想は嬉しいけど、貰ったところで更新頻度あがるでなし。作品の出来がよくなるでなし。何も返せないなあとおもう。

先日めずらーしく相互さんに記名でコメントしたんですよね。イベントお疲れ様でした~というような内容。そうしたら、そんなんより感想くれ(意訳)といわれて、頭まっしろになった。
まじか~~~~。
いや、かなりマイルドなおっしゃり方でしたが、完全にそうでした。
感想言わねえやつはなにもいうな、と、私は感じてしまい申し訳なさ天元突破です。
もう二度と話しかけまい……。

感想を送るのは実はそんなに嫌いではないんですけど、いかんせん長文のやつを送るタイプなので時間と精神力をつかいます。作品何回も読み直して、草稿、推敲、清書なわけですよ。
一日仕事です。
その上ムラのある性格なので、好きな作品だろうが気分が乗らなければ読まないし、その日その日で映画に夢中になったり、ゲームに没頭したり、読みかけの本を読んだり、なんというか、様々なものを交互に味わうタイプで、ほんとTLと足並みが合わない。(私が悪いのですが)
本どころか同人誌も積むんですよ……。
こういう人はいつも、どの界隈に行っても悩まされるんです、他人への感想に……。
定期的に送ってる人、人間ちゃんとしてんなあといつも憧れます。
ちゃんとしてないとこういうこと言われるやつになる。


私はこんな感じなので、読んだ人にも感想くれとはあんまり思わない。でも私がそうだからってみんなそうでは無いとしってる。だからなるべく送ろうとしているんだけど、その人、めちゃくちゃ感想貰ってるんですよね。
いや、めちゃくちゃは言い過ぎかもしれないけど、私に比較すれば遥かに匿名感想もらって、感想リプもあって、通話とかでもまあたぶん貰って。
いいじゃん、もうさ、という気がしないでもない。
私からの感想がなんぼのもんなんすか?
だいたい日本語不自由だから、もらってもあ~~ありがとうございます(愛想笑い)になるの知ってんのよ……だから送んないの。
読んだだけでも嬉しいって言葉、半分ホントだけど半分は嘘じゃん。
読んだ、ってだけの言葉、送られてみ?絶対もやもやするでしょ。
それなのに読んだだけでもいいからクレって、はぁ……わからん。

私は読者であり書き手でもあるので常々思っているのですが、マジクソみたいな感想はあるし、クソみたいな感想もらうくらいなら感想もらわんほうがマシですよ……。そういう気持ちがあるので、感想送ることに腰が重い。
しかしまあ、結局めちゃくちゃ好きな作家さんに言われたら違う印象だったとおもうので、たぶんたいして好きでもないってことなんでしょうね。

わたしのなかで、同人の感想って作者のケアなんですよね、たぶん。
だから、読んでくれた人にはそんなことさせたくない。好きな作家さんにはしてあげたいけど、わたしのメンタルの値が高くないと他人のケアはできないので頻度がバリ低い、ということか。
マチュア作品でなければめちゃくちゃ気軽に感想言うんですけどね~~同人作品の感想、私の中では繊細すぎるんですよ……。
つらい。

必要ないので

どこにいっても、馴染めないと思う。私の居場所ではないと思う。集団のなかで、誰かのためになにかする事すらしないくせに。
世間話もどこか、私ではない誰かが言っているみたいだ。勝手に白けている。他人は悪くない、悪いのはいつも私だ。

べったりととけた飴がはりついてるような不快感をみつめながら、それをのけようともせず、私は今日も薄ら笑いでやり過ごす。
いつも思う。ただしいのは、私を取り巻く世界なのだ。

しょうもないことを繰り返している

つらくなってしまったので、吐き溜めを作った。

吐き出したいだけならば日記帳でいいのだが、昔からなにかと書いてはインターネットに放流していたので
どうもそれを繰り返してしまう。
誰にも見てもらえなくてもいい、でも、もしかして世界のどこかでは、私の言葉を誰か受け取ってくれているかもしれない。しょうもない期待でもって。

長い間小説を書いている。
一次二次問わず、ジャンルを転々としながら書いてきた。上手いか下手かでいえば、上手いほうではないだろう。それでも頭に浮かんだ場面を書かずには居られないし、もともとは一次創作に長くいたこともあって、感想もらえないとか、誰からもみてもらえないとか、そういうのは平気なたちだった。
一次創作をしたりしなかったりしながら、時々二次創作をするということを長い間続けていたのだが、最近新たなジャンルにハマった。
そんなに規模が大きくないのに、かき手が多いジャンルで、体感としてはロムの人も多い。一昔前のコンテンツなんだけど、色々な要素があっていまでも新規のファンが増えたりしているようだ。
狂ったように二次創作をしていたら、思いがけずたくさん感想を貰えた。びっくりした。過去にメジャー漫画作品で二次創作していたときは、SNSで話したことのある人だけ感想をくれたし、そんなもんだろうと私自身思っていた。私自身、あまり受けるような話を書くタイプではない。文章も読みやすさしか気をつけてない簡素なものだ。ストーリーを考えるのだってそう上手くはない。オチはつけられるけど地味だし。
だけど私にしてはたくさんの人に読んでもらえて、感想を貰えて、したことのない経験にメンタルが訳分からなくなってしまった。

どうせまあ、それは原作の下駄の上のことです。

もともと希死念慮がかなり強いタイプで、根暗だ。出さないようにはしているが、他人と話すときはSNS越しなのに緊張する。緊張すると死にたくなる。
自分の小説の下手さにも死にたくなる。頭の悪さにも。とはいえ物心ついたときから死にたいと思って生きてきたので、それを宥めながら二次創作する日々。マジでしょうもな……。

好きと言われれば嬉しいが、そんなものは原作あってのことで、そのCP でなければその人だって読みはしない。
あー、はいはい、アリガトウゴザイマス~~ってなもんだ。最低だ。
自己表現のために、その好きな作品を利用しているのは私自身だと言うのに。
だれも私の小説が好きな訳では無い。恨み言ではなく、純粋にそう思って、そりゃそうだろと思って、死にたくなっている。

書くのは好きだ。小説を読むのと同じくらい。でも私は書くことで、だれかと、世界と繋がりたいと思っている節がある。
現実に友だちは少ない。仲良くなることは苦手だ。他愛ない世間話ならばできるけど、深く付き合うことができない。
かといって、他人と仲良くしようと思うと結局、とても疲れる。精神が摩耗して、生活が立ち行かなくなる。相手のせいにしたくはない。私は限度がわからず、相手が持てというものを際限なく受け取ってしまう。放り出すこともできずに、そのまま底なし沼の底へズブズブ沈む。そうなるとやはり死にたくなる。

想像だけが私の自由だった。そこは孤独だったが、それでもいいのだと思う時もあった。なんにしろ人は孤独だし、多くの人たちはそれを見ないふりするために、友だちや恋人を作るのだ。でも本当の現実は孤独だけが真実なんだと思っていた。それがほんとうなんだと。

小説をかくことは、私にとっては世界のことを考えることだった。私ではない人間、私の所属しないコミュニティ、そういうものに思いをめぐらせることこそ、世界に繋がることだ。本を読む時に私は私の知らない世界に触れ、知り、喜びを感じる。同じように書く時にも理解し、傷つき、そこにたしかな手触りを感じるのだ。私は慈しみ合うような人間の感情をしらないけれど、知ることは出来る。私の中の欠落は埋まらないが、しかしその穴の形を辿り、きっとこれが足りないのだと思い知ることも出来る。
書くことは、いつもどんなときも私には幸福だった。

それは果たして誰かに届くのだろうか。


いつも小説を書くとインターネットに流す。
そこまでで、1セットだ。
そうすると、その作品は私の中でおしまいになる。
時々読み返すと、もはや他人の作品のようだ。
我が子のような愛着もない。
なぜこんな話しを書いたのかすらよく覚えていない。


感想はうれしい。
謙遜ではなく本当に稚拙な作品で、それでも読んで、声をかけてくれるのだ。
申し訳なく思うくらいだ。
二次創作ではなく、ながらく更新していない一次創作でも、いまだにブログを訪問してくれる人がいる。
時々コメントをくれる。
私がしょうもない落ち込みをしてても、その人は見守っていてくれる。
どうしてなのか、私には皆目分からない。もしかして、あまりにも暗いブログに心配になってしまうのかしら?

それなのに私は、少しも満足することが出来ない。
誰にもわかってなんてもらえない、そういう負のエネルギーが私を突き動かす。誰にも認められることなんてない、そういう確信が心を占めてる。
だから優しくしないでいいですよ、と文字にせずに思う。
どこかにうちすてて、どうか忘れて。

どうかしているなとおもう。
繋がりたいのに、忘れて欲しい。誰の負担にもなりたくない。あまりにも、なにもかも、生きるのに向いてないの。